奈良公園の鹿さん (2)

観光客がいなくなると鹿の多くは山や林の中に帰っていきます。それは一定の群れやグループ単位であったり、単独であったりします。単独と言っても多くは1頭だけ群れから離れて行動しているだけです。全体的には雌が多く、雌だけのグループも目立ちます。

P1160191-lr_r.jpg 1.  浮見堂がある鷺池の近くまで来ました。鷺池辺りは奈良公園の南端に位置します。

P1160200-lr_r.jpg 2.  相変わらず食べてばかり・・・・

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奈良公園の鹿さん (1)

午後の遅い時間に奈良へ。外国からの観光客が増えて日中は人が多いのですが、観光客が少なくなってくる時間は早く、午後4時を過ぎると平日は帰る人が多くなります。奈良は宿が少ないので泊り客は大阪や京都の宿へ移動してしまいます。土産物店も夕方早く閉めてしまうところが多いし夜遊ぶ所もありません。その代わり写真撮影では観光客を気にすることなく奈良の神社仏閣や街並み、風景写真を心置きなく撮ることが出来るのでカメラマンには有難い。
この日は鹿を中心に暗くなる時間まで高感度ノイズざらざら覚悟(夜の手持ち撮影になるので)で粘ってみました。
さて、奈良公園や周辺には約1400頭の鹿がいますが、人慣れしてかわいい反面、野生動物なので接し方に注意が必要です。
角があって大柄なオスは特に発情期の秋は気を付けた方が良いようです。またメスは出産期の春~初夏は子供を守る為に攻撃的になる事があります。他には鹿せんべいを持っているとせんべい欲しさにたかられます。逃げると追っかけてきたりします。じらすと怒って突かれたりされる事があります。相手が角のある大きなオスなら危険です。
鹿の死に関わる問題では車と鹿との衝突事故があります。人間との距離が近い為に車に対しても警戒心が薄いのか、昨年は約80頭の鹿が交通事故で死亡しています。他にもレジ袋やプラスチック容器を食べて死ぬケースもあるので、路上にゴミを捨てるのはモラルの問題だけで片付けられる物ではありません。奈良観光にはよりモラルを意識し、以上のような鹿の習性を知って接することが大事です。

P1160126-lr_r.jpg 1.
近鉄奈良駅のすぐ東側にある東向(ひがしむき)商店街のアーケードを東側から見下ろしています。つまりアーケードから東側は急に高くなって台地になっており、その台地の上に興福寺や東大寺の伽藍が建っています。商店街のすぐ東側は興福寺の境内だったのでその昔は東側に店を建てることが出来ませんでした。それで店は全て西側に面し、表が東向きだったので東向商店街という名になりました。それがいつ頃なのかまでは知りませんが。

P1160129-lr_r.jpg 2.   本日の主役は鹿です。何やらあまり見ないポーズ。

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tag : 奈良 鹿 興福寺 南円堂

西陣界隈駆け足巡り

自転車で西陣界隈を散策。ただしいつも行くところ同じようなので目新しい場所の写真はほとんどありません。
実は西陣は戦時中米軍の爆撃を受けた場所です。死傷者も出しているのですが、そのうち記事にするつもりです。
ところで、西陣ってどこからどこまでの地域かと言うことなのですが、西陣と言う地名がないので明確な物はありません。おおよそ、北は鞍馬口通、南は中立売通、東は室町通、西は千本通の一辺約1キロメートルと言うのが一般的な解釈みたいです。ただし広くは西は西大路通、南は丸太町通あたり迄、そう呼ぶことがあります。西陣空襲と呼ばれる投下場所も中立売通より南ですから。

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1.  昭和の遺物。下立売猪熊付近ですが西陣と言っても良いかと・・・・

1P1160066-lr_r.jpg 2.  町家を改修してゲストハウスにしたらしい。空き家になった町家の再利用と京都の
   宿不足解消の一石二鳥?  出水浄福寺付近

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tag : 西陣 浄福寺通 晴明神社 妙蓮寺 岩上神社

有栖川宮旧邸見学 2

庭からは下立売通に面した南向かいの平安女学院の校舎が少し見えるのですが、工事用のシートで被われていました。耐震工事との事。校舎の教室には2度珠算検定試験(高校が商業科だったもので)で入ったことがありますが、はるか昔の事なので全く覚えていません。検定試験のことで頭いっぱいで余裕などなかったのでしょうね。男子校生徒が女子高の教室に入れるせっかくのチャンスだったのに女子に声をかけられない。何ともウブで、つまらない高校生活を送ったもんだと今更ながら思いますね。試験は1級を目指していましたが日商2級合格が関の山でした。あれから算盤使うこともほとんどなく、すっかり遠ざかった今、試してみると指が全く動きまへん。「ダメだ、こりゃ」
今さらながらの算盤ですが、ボケずに90歳で人生を全うした祖父は晩年も算盤使っていたので、歳とってから使うのはボケ防止に役立つかも知れませんね。あれれ、一体何の話してるのやら(笑)

P1160029-lr_r.jpg 1   飛び石は聖アグネス教会聖堂(9以降の写真)の方向に敷かれているようです。

P1160031-lr_r.jpg 2.

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有栖川宮旧邸見学 1

「京の夏の旅」キャンペーンの文化財特別公開が各地で行なわており、その中の一つ、平安女学院大学有栖館(有栖川宮旧邸)に行ってみました。
1625年後陽成天皇の第7皇子好仁親王により創設された高松宮を1672年に有栖川宮と改称したのが始まり。御所の建礼門前に邸がありました。しかし跡継ぎの男子がなく、1923年有栖川威仁妃慰子内親王の薨去により約300年の系譜が途絶え、建物は京都裁判所の仮庁舎等に使用されました。後に、現在の烏丸下立売の民有地を買い上げ、京都地方裁判所の所長宿舎の一部として移築、2007年まで利用され、現在は平安女学院により保存されています。
ところで、かつて有栖川宮を名乗り、偽の結婚披露宴を開いて祝儀金を集める詐欺事件があったのを憶えておられるでしょうか? 13年前の2003年の事です。あの詐欺事件で有栖川宮家の名を初めて知りました。
有栖川宮の元祖は高松宮なので絶家の翌年1924年(大正13年)、大正天皇第3皇子宣仁親皇(当時8歳)に高松宮の称号を与えられました。高松宮家が有栖川宮の忌祭、財産を受け継がれることになりましたが、不運にも子供がなく跡継ぎがないので、1987年に宣仁親皇、2004年に宣仁親皇の夫人喜久子内親王(有栖川美枝子妃の子)の薨去をもって高松宮家が廃され有栖川宮家を継ぐ事もなくなりました。有栖川宮家は男子が亡くなる等で跡継ぎに恵まれず、長女の喜久子内親王も当時の皇室典範の下では養子縁組を迎えることが出来ませんでした。そこで高松宮に嫁ぎ、両家の血筋を残す可能性があったのですが、不運にも子供が出来ず両家とも廃絶される運命になりました。

P1160007-lr_r.jpg 1.   京都御苑の百日紅。有栖川邸跡地にも近かったかと・・・・

P1160044-lr_r.jpg 2.   有栖川宮旧邸の銅板と真鍮板で葺かれた門(写真右側)を入った右手に2本の枝垂
     れ桜がありますが、秀吉が醍醐の花見をした当時の桜の子孫であることがDNA分
     析で判明しているそうです。

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夜を歩く 四条木屋町~祇園

先斗町の路地から木屋町通に抜けて四条木屋町に戻り四条大橋へ。それから花見小路に寄ってUターンして木屋町に戻り、その後飲むわけでもなく阪急電車で帰りました。

P1150975-lr_r.jpg 1.  眩しいお酒

P1150977-lr_r.jpg 2.   かつて昭和29年創業の名曲喫茶「みゅーず」があった高瀬川沿い。10年前に閉店し
    今はおしゃれな外観の焼肉店でした。時代の流れを感じます。

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tag : 四条大橋 木屋町 花見小路 フランソア 鴨川 ヴォーリズ

夜を歩く 先斗町

夜の先斗町、四条大橋などを気の向くままにぶらぶら歩いてみました。

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1.   路上ライヴ。ゆったりとした民話的な歌に12弦ギターの伴奏。

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2.   久し振りに歩いた先斗町の小路

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tag : 先斗町 京都 路地 木屋町 格子窓 繁華街

大徳寺 瑞峯院、養徳院

作庭した重森三玲(本名・計夫)氏をウィキペディアで調べると、もともと画家を志して美術学校で日本画を学び、他にも生け花や茶道も学んでいたそうです。しかし画家の道をあきらめて日本庭園を独学、40歳(昭和11年)の時に全国の様々な時代の日本庭園を実測調査・研究し日本庭園史の先駆けとなりました。

P1150826-lr_r.jpg 1.    中国の禅僧百丈禅師が、独坐大雄峰と呼称された禅語から「独坐庭」と銘じられて
      います。
      右端(西側)は切れていますが、入り海になっており茶室の前まで続いています。

P1150829-lr_r.jpg
2.  飛び石を横切って茶室の前の露地まで入り海が迫ります。    

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tag : 瑞峯院 蓬莱山 大徳寺 枯山水 茶室 平成待庵 禅僧百丈禅師 石庭 重森三玲 足利満詮

龍源院から瑞峯院へ

前回の龍源院の続きです。
龍源院の方丈(重要文化財)は室町時代の禅宗方丈建築としては、その遺構を完全にとどめている唯一のもの。今回は南北の二つの方丈庭園と方丈の間を―

P1150773-lr_r.jpg 1.     竜吟庭。方丈の北庭、三尊石組から成る須弥山形式の枯山水で相阿弥の作
      と伝えられています。杉苔を大海原、石を陸地に見立てているそうですが、茶
      と緑の苔が大海というのは無理があり、どう見ても陸地です。白砂にすること
      で須弥山の存在感が増して良いように思うのですが・・・・

P1150774r.jpg 2.     相阿弥は慈照寺銀閣寺や青蓮院の庭を作庭したと言われる人です。
      須弥山はチベット仏教ではヒマラヤのカイラス山を須弥山(6656m)と見做し、
      古代インド仏教では世界の中心にそびえる山で、山頂にはインドラ(帝釈天)
      が住むと言います。それだけにこの須弥山は塀の高さよりかなり低く残念に
      思いました。        
      

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大徳寺・龍源院へ

観光客で毎日賑わう金閣寺にほど近い大徳寺は多くの塔頭寺院があるのですが、拝観可能なのは現在4寺院。そのうち龍源院、瑞峰院に入りました。高桐院と一部の写真は後日に撮った物です。
とんちの一休さんでお馴染みの一休宗純は大徳寺の高僧に弟子入りし、後に応仁の乱で荒廃した大徳寺の再興に尽力したそうです。門前には大徳寺納豆が売られていますが、納豆菌ではなく麹菌を使用し、あのネバネバした納豆ではないそうです。大徳寺では一休宗純が伝えたとされています。
聚光院が創建450年記念で特別公開されていましたが、写真撮影禁止なのと拝観料2000円、予約時間があって面倒なのでやめときました。千利休の菩提寺で狩野永徳らの国宝障壁画があり、来年3月頃まで公開しているそうです。

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1.   大徳寺山門。応仁の乱で焼け落ちた山門の上層は千利休の寄進
    により復活させ、その内部に利休の木像を安置させました。しかし
    利休の足下を秀吉ら利休よりも地位の高い者が通ることになるのは
    けしからん、と秀吉の怒りを買い切腹を命じられた原因とも言われて
    いますが、利休が立場を越えて政治や外交に意見することに秀吉が
    苛立っていたのは確かなようです。

P1150915-lr_r.jpg 2.     山門の内側

P1150946-lr_r.jpg 3.     法堂。普段は非公開。天井には狩野探幽が描いた龍の絵があります。

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tag : 石庭 枯山水 日本庭園 一休宗純 千利休 臨済宗 禅宗

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京あられ

Author:京あられ
生まれも育ちも京都の生粋の京都人
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