5月の宇治平等院

日本の貨幣にも描かれている鳳凰鳳凰堂で知られる平等院。
GW後半はが見頃だったようですが、混むので連休明け早々に行きました。前の日も同じ宇治の三室戸寺に行ったので呆れたものですが、そこまでしてGWを避けたかったのです。(^^)
さすがには花がやや少なくなっていて見頃とは言い難い状態でしたが、場所や撮り方で何とかごまかせそうなので良い部分だけを狙って撮りました。(^-^;

(横位置の縮小されたプレビュー画像は元画像より画質が若干落ちています。画像クリックで元画像が表示されます)

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1.   JR宇治駅に近い宇治茶の老舗中村藤吉本店。帰りに寄ることに。

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2.   こちらは帰りに寄った時の写真。抹茶とほうじ茶のフィナンシェを買った時
     、お店の座敷奥に飾ってあった鎧兜に目が止まりパシャリ。

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tag : 宇治 中村藤吉 鳳凰 新緑

初夏の妙心寺退蔵院

今回は妙心寺の退蔵院です。妙心寺には46もの塔頭がありますが、通年公開している寺院は3か所だけ。その一つが退蔵院です。四季折々の花が咲くようですが、今回はが目当て。しかし・・・・

(横位置の縮小されたプレビュー画像は元画像より画質が若干落ちています。画像クリックで元画像のまま表示されます)

P1060558-lr_r2.jpg 1.   妙心寺仏殿

P1060565-lr_r2.jpg 2.   退蔵院の受付から玄関に向かうと紅葉が待ち受けていました。

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テーマ : 季節の風景
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tag : 枯山水 庭園 禅寺

建仁寺 -2-

前々回の建仁寺の続きです。禅宗寺院の発祥地にして大本山の建仁寺ですが、今時にしては珍しく撮影禁止の注意書きはほとんど見当たらず、うれしいことにかなり写真撮影が自由です。
ところで、俵屋宗達の風神雷神図と海北友松(かいほうゆうしょう)の方丈襖絵はキヤノンのカメラとプリンターによる高精細デジタル複製です。詳しくはこのページ末のリンクを。
複製だと長年の時を経た風合いとか重みはないかも知れませんが、本物では失った元の色の美しさや輝きを再現(単なる高精細複製ではなく和紙に印刷し必要に応じて金箔を使用)しているので、それはそれで良いと思います。長い年月が経てば風合いが出てくるかも? 複製なので撮影禁止する必要もなく、こうして誰もが作品に身近に接するメリットも。原本の保存の為には人の目に触れる機会が減るのは致し方なく、その代わりとしてのデジタル複製化と公開は今後更に増えていくでしょうね。

P1180841-lr_r.jpg 1.   書院東側の渡り廊下。書院は潮音庭を囲む回廊で結ばれ、その東西が渡り廊下です。

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2.   方丈北側の庭

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テーマ : ■京都を撮る■
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tag : 雲龍図 双龍図 天井画 海北友松 襖絵

建仁寺 -1-

今回は臨済宗建仁寺です。昨年12月中頃で、紅葉も枯葉が多いながら残っていました。
建仁寺は日本に禅をもたらし臨済宗を開いた栄西禅師により開山された日本で一番古い禅宗寺院です。また栄西禅師は茶種を宋から持ち帰って栽培し、日本に普及させた茶の元祖でもあります。
今回は珍しくズームレンズではなく全て15mm(35ミリ換算30mm)単焦点レンズだけで撮りました。

P1180778-lr_r.jpg 1.  本坊入り口から入って書院や方丈等を拝観します。

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2.   ○△□乃庭  禅宗の四大思想(地水火風)を、地(□)
    水(○) 火(△)で象徴したものだと言われています。

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tag : 栄西禅師 禅寺 風神雷神 石庭 祇園

龍安寺石庭の謎

昨年12月に龍安寺の紅葉の記事をアップしましたが、敢えて残していた方丈石庭の写真をようやくアップする事になりました。以前にも書きましたが、龍安寺の石庭は謎だらけで、それについて書かれた本やサイトを参照した上で記事にしたかったので、今になった次第です。
龍安寺は細川勝元によって1460年前後に建立されましたが、あまりにも有名な石庭はいつ頃、誰が何のために作ったかは定かではなく長年の謎に満ちているそうです。その為、作庭者や石組の意味についての様々な説が多くの研究家によって発表されてきましたが何れも決定打に欠けるものでした。
今回参考にした「龍安寺石庭を推理する」(集英社新書)の著者宮元健次氏は庭園史、庭園デザインのエキスパートで、多くの著書が出版されています。

P1180547-lr_r2.jpg 1.   825 x 550
本書によると、龍安寺石庭は西洋のパースペクティヴ(遠近法)や黄金比が数多く見られると言います。
フランシスコ・ザビエルに始まるキリシタン文化の浸透は、とりわけ禅寺にも影響を与え、大徳寺塔頭寺院の創立者には以前紹介した瑞峰院のキリシタン大名大友宗麟や高桐院の細川ガラシャ等のキリシタンやその関係者が8人もいます。大徳寺を復興した一休宗純周辺にキリスト教信者や関係者が多かったのもその理由なのですが・・・・・(以下は個人的にネット等で調べた事柄も織り交ぜています)
堺はザビエルが布教で来航して以来日本一の貿易港としてめざましく発展した為、堺の商人は裕福でした。西洋人の物の考え方や文化にも慣れ、好意的なお金持ち商人も多かったと思います。新興宗派がこぞって堺にお布施を求めて布教活動に乗り出すのも至極当然の成り行きでした。一休和尚も禅宗を堺に広める意味で何度も訪れます。(本書では何故か一休和尚が堺出身となっていて、この点は残念。第2版があるなら本屋さんで確認しとこー) 女好きで堺では遊女と同居生活を送ったという話まであります。真偽はともかく枠にとらわれない自由人で誰とでも社交的な一休和尚が堺での人との交流の中で西洋文化に興味と理解を示したことは容易に想像されます。高僧でありながら高ぶらず、むしろ権威や権力に真っ向から逆らい、破天荒で人間くさい人柄で民衆や貴族にまで幅広く好かれていましたが、更に堺商人の心をも掴みました。後に一休和尚の元に参禅し、応仁の乱で焼失した大徳寺の再建に全財産を託した堺の豪商尾和宗臨もその一人でしょう。
しかし大徳寺とキリスト教との関係が進むのはもっと後の話。後に堺には利休が生まれ、利休が修行した禅寺南宗寺(大徳寺の末寺)とのつながりから堺の茶道関係者によって大徳寺と西洋文化が結びつけられ、それが仏教と相対立するキリスト教を受け入れる下地になったと考えられます。キリスト教や西洋文化がすっかり浸透した江戸時代初期には西欧手法をとり入れた庭等が禅寺を中心に作られます。禅寺と茶の湯文化という流れの中で、これまでも名園を手掛けた有名な人物(名前は本書を手にして確認の程を)が龍安寺の作庭者ではないかと著者は推理します。

P1180548-lr_01r.jpg 2.   手前Aの石を大きく、奥の石を小さくする事で遠近感を利用し広く見せているそうです。
    塀が低い(塀の外側は高く内と外との高低差は大きい)のは庭を広く見せる為だと思った
    のですが、本書では石清水八幡宮を借景として礼拝する為であると言います。標高約100
    mの龍安寺でも方丈は境内の高い場所にあるので、当時は遠くまでよく見渡せたのでしょう。
    

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tag : 石庭 枯山水庭園 石組 西欧手法 遠近法 黄金分割 五芒星

東福寺方丈八相の庭

昨日は前日からの雪が降り積もり、久し振りに10センチ以上積もりました。お昼過ぎに風がおさまり青空が見えてお天気が回復するかと思いきや再び曇ってまた雪。昼過ぎに嵐山へ出かけましたが雪は治まらず、レンズに雪が当たるし、スニーカーなのにシャーベット状の悪路を歩いたので靴の中がびしょびしょになりました。
そんな雪との格闘をしてきた昨日でしたが、ブログの方は相変わらず晩秋から時が止まったままで、三玲の庭シリーズ最終回の今回は、東福寺方丈八相の庭です。
八相の庭は方丈の東西南北にある四つの庭の総称で、庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛州(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」「八海」「五山」「井田市松(せいでんいちまつ)」「北斗七星」の八つを八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)に因んで命名されたもの(パンフレットより)です。

昨年の三玲関連の当ブログ記事へのリンク
光明院波心庭 1  6/13
光明院波心庭 2  6/14
龍源院から瑞峯院へ  9/7
大徳寺 瑞峯院、養徳院  9/9   

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1.   最大の南庭は五群の石が配置され、一番東よりにある石群が瀛州。

P1180113-lr_r2.jpg 2.   左手前の石群は瀛州でその向こうが蓬莱。中央の石群は壷梁。その奥の石群は方丈
     白砂は八海を見立てています。  825 x 550

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tag : 東福寺 枯山水 紅葉 重森三玲 日本庭園

龍吟庵(東福寺塔頭寺院)

東福寺塔頭の一つ吟庵は東福寺第三世大明国師の(無関普門)の住居跡です。方丈は室町時代初期の現存する最古の方丈建築で国宝。3つの庭は、それぞれの庭(西庭)、不離の庭(東庭)、無の庭(南庭)と呼ばれ、昭和39年に重森三玲により作庭された枯山水庭園です。 (昨年11月下旬撮影)

P1180184-lr_r.jpg 1.    吟庵へは東福寺山内の千玉澗に架けられた3つの橋のうちで最も山側にある偃月橋
     (えんげつきょう)を渡ります。 

P1180187-lr_r.jpg 2.    偃月(えんげつ)は半月頃の欠けた月のことだそうです。橋の形から付けられた
     名称でしょうか? ただし千玉澗の他の橋とは違って見晴らしは全くありません。

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tag : 枯山水 日本庭園 東福寺 重森三玲

波心庭(光明院) 2

光明院の残りの画像です。庭園は影が出ない曇りのほうが良いと思いますが、皆さんはどう思いますか?
次回は同じく三玲の庭で東福寺塔頭寺院の龍吟庵です。

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1.   一見枯山水ですが、実はまとまった雨が降ると白い砂が池になり池泉式
    庭園に様変わりします。

P1180056-lr_r.jpg 2.

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tag : 枯山水 日本庭園 東福寺

波心庭(光明院)

昨年5月の重森三玲が作庭した光明院の波心庭に始まって、9月には大徳寺瑞峯院の三玲の庭、そして今回秋の光明院の再訪。春、夏、秋のシーズンを通して三玲の庭に参詣してきました。三玲と言えば東福寺方丈庭園「八相の庭」が有名ですが、それは次回以降紹介するとして、苔と紅葉が美しいとされる光明院の枯山水庭園をまずアップします。

P1180003-lr_r.jpg 1.

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2.  前庭


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tag : 東福寺塔頭 枯山水庭園 紅葉 重森三玲

大徳寺 瑞峯院、養徳院

作庭した重森三玲(本名・計夫)氏をウィキペディアで調べると、もともと画家を志して美術学校で日本画を学び、他にも生け花や茶道も学んでいたそうです。しかし画家の道をあきらめて日本庭園を独学、40歳(昭和11年)の時に全国の様々な時代の日本庭園を実測調査・研究し日本庭園史の先駆けとなりました。

P1150826-lr_r.jpg 1.    中国の禅僧百丈禅師が、独坐大雄峰と呼称された禅語から「独坐庭」と銘じられて
      います。
      右端(西側)は切れていますが、入り海になっており茶室の前まで続いています。

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2.  飛び石を横切って茶室の前の露地まで入り海が迫ります。    

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tag : 瑞峯院 蓬莱山 大徳寺 枯山水 茶室 平成待庵 禅僧百丈禅師 石庭 重森三玲 足利満詮

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Author:京あられ
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